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トクトク大事典

【トクトク大事点】醤油の里・金沢 大野町

◇醤油の里・金沢 大野町

醤油の里
金沢 大野町

潮風も心地よい港町は
歴史と希望が詰まった宝箱だった。

醤油の攪拌・オリ引き 熟成を待つ醤油たち
「おいしい店」も出店している「お店ばたけ」では、
第一回オフ会をかねて金沢の大野町へ 醤油造りの見学に出かけました。
まずは、醤油ソフトで名高い「もろみ蔵」へ、そして「ひしほ蔵」へ行き、
金沢で過半数のシェアを占める「直源醤油」へと、ツアー・トリップしました。


古い民家を利用した寿司屋
 ■400年の醤油の町
3代藩主前田利常が加賀を治めた元和年間(1615~1624)に、大野の町人・直江屋伊兵衛が醤油発祥の地、紀州湯浅で醸造法を学び伝えた。その頃は関東にも醤油の技術は伝わっておらず、大いに町は栄え醤油の五大産地の一つ(五大産地:野田・竜野・銚子・大野・小豆島)として数えられ、北前船の交易により日本中に運ばれました。

江戸時代、大野町は500世帯のうち最盛期には60軒が醤油の醸造所であったと記されています。
醤油を造るのに多数の人がいりますし、それを販売する人、また、醤油醸造所は大豆の買い付けのため廻船問屋も兼務していましたので、船乗りや事務、そのバックヤードの人たちも含めると大野町のほとんどの人が醤油の製造販売に携わっていた事がわかります。
戦後、急速に大手メーカーの寡占状態になり、一時は10件になり現在は28件が醤油を製造しています。
港町の風情が漂う
海から河北潟へと続く

大野町は200~300石船が出入りする港で、江戸初期には能登の大豆と塩を使っていたものが、海を使い東北の大豆を運んできて醤油を造りその船で全国に販売、帰りにまた荷を運ぶというシステムを作り上げました。
ちなみに、海の百万石の豪商といわれた銭屋五兵衛は、すぐ隣の千石船も出入りできる金石の町の人でした。

変化への対応! (風をつかめ!)

醤油の趣向の変化・個店からスーパーへの販売チャンネルの変化は、大手メーカーの寡占を生み出し、大野町の地盤沈下は金沢の周辺部でありながら人口の減少が町全体の緊急課題ともなってきた。

昭和46年大手メーカの価格に対抗するため大野協同組合を設立し「生揚(きあげ)」まで協同で行うことによって低価格を実現した。
また、町づくり委員会もつくられ、魅力ある大野の町づくりを目指さし、その一環として「古い町・蔵の再生」が進められています。現在38軒ある「醤油仕込み蔵」の活用として始められたのが、異業種13軒の協同組合で始められた「もろみ蔵」である。

 ■「もろみ蔵」
喫茶店とギャラリーが併用されています。
現在、観光客も含め多数の人が訪れ、まず第一歩は成功。目玉は「蔵」と「醤油ソフト」
この辺りに醤油工場が乱立している。
一歩中に入ると醤油の匂いがします。 醤油タルでテーブルとイスが
つくられています。
天井は醤油のモロミが飛び散って真っ黒です。 そして床は土間で、白壁!
現在は、一見ギャラリー風です。
●街の歴史と夢を語る。
左手の人が直源醤油の次期当主
のぶチャン醤油ソフトにビックリ!
醤油の香り・キヤラメルの味!
感想をつづるノート。学生が多いです
大野の町再生のリーダーであり、舵取り役である山本晴一は、ヤマト醤油味噌の専務でもあるため、率先して 自社工場に隣接して工場製造の醤油・味噌を展示販売するためのショールーム「ひしほ蔵」を作り情報発信
 ■「ひしほ(醤)蔵」
醤油と味噌のショールーム・展示販売されています。
ヤマト味噌のショールーム
違う味の醤油ソフトを食べれます

奥さんが元気に接客
ここでは、味噌も自家製造しています。
看板が歴史を伝えます。 社長は大野町づくりの中心人物です。
昔は、タルに醤油を入れていました。
奥さんのお土産ですか?
昔の雰囲気が残る工場
大野で醤油醸造が盛んになったのには2つの理由があります。
一つには、水と原料に恵まれていたことです。
霊峰白山の清冽な水が豊富に湧き、また北前船の寄港地であったことで麦や大豆、能登の塩などの調達も容易だったからです。
もう一つの理由は、金沢が武家文化の中心地であったことです。金沢は江戸期において、江戸・大阪・京都に続く大都市であり、一大消費地であったということです。
日本海と加賀平野の山海の珍味に恵まれた金沢では、武家をはじめとする上流社会の嗜好を満たすために料理法と大野の醤油が発達し治部煮をはじめとする絢爛豪華な加賀料理の伝統の一翼をにないました。
大野町は、金沢市の「こまちなみ保存」の指定も受けました。
小さな路地・路地にロマンが感じられる。 通り過ぎる旅人の心です
お店ばたけの参加者も
タイムスリップした気分
こんな家がたくさん残っています
 ■「直源醤油」
地元消費量の最大の供給メーカー・自社の もろみ蔵はショールーム「源兵衛」として活用
伝承によれば直江屋伊兵衛の直系の子孫で、代々直江源兵衛を名乗っています。
伝承が事実ならば400年の歴史
「お店ばたけ」のみんなで戸を開けると
そこには歴史が残っていた

吹き抜けの天井
家中が古色で光っている
もろみ蔵 源兵衛の展示物
みんな、しばしの休憩

再び、醤油の町へ (こだわりの醤油を求めて)

「各家に伝わる伝統の職人の技を消す協同組合が、本当に大手メーカーに対抗する唯一の手段だろうか?」との疑問をもつ直井さんの言葉に心をくすぐられた「のぶチャン」は、日本中に通 用する金沢の味を求めていた日本一の宿として高名な「加賀屋」の銀座支店・調理長と日本海側で一番の歴史と格式を誇る料亭・金沢「つば甚」の料理長とともに再度、「直源醤油の工場見学」に訪れました。

 ■まずは、もろみ蔵 源兵衛を見学
中央に見える旗は、かっての持ち船のもので 5隻の旗が現存しているそうです。 醤油屋が回船問屋を兼務していた証拠です。
「つば甚」の調理長・川村氏
モロミが飛び散って黒くなった天井に見入る
加賀屋・銀座店の調理長・安田氏
醤油の歴史をひも解く
【醤油の作り方】
 醤油は、大豆(または脱脂加工大豆)・小麦・食塩の3つを主な原料として造られます。
 まず蒸した大豆と炒った小麦をひき割って混ぜ合わせてから、麹菌を加え麹をつくります。
 麹菌が育成しやすいようにデンプンをα化し、たんぱく質も変性されます。
 麹と食塩水を混ぜて発酵させ、6ヶ月から1年間、ゆっくりと熟成させたものが諸味です。
 諸味をしぼって液汁と粕に分けます。その液汁をろ過したものが生揚(きあげ)醤油です。
 この醸造工程によって、たんぱく質やでんぷんから数多くの醗酵生産物が生まれます。
 これは人体にとって欠くことのできない貴重な成分であるとともに、
  醤油のうま味も醸し出しているのです。
 ■新工場を見学
生揚げされた醤油のオリをのぞく
次期当主・直江潤一郎氏の
説明に聞き入る。 調理長のほか、
若いスタッフも見学に参加
味を加味され、 熟成を待つ醤油たち
熟成された醤油はミクロフィルターで、 まず不純物を除き火入れされる。
なんと! ろ過材には能登の名産
珪藻土が使われていた!
クリーンルームでは気圧を高め
埃・微生物の侵入を防ぎ、
充填作業が行われる。
次々と完成品が出てきて、
ラベルが貼られる。
梱包作業へ
試食? 試飲?
醤油とコーヒーは辛かった。
 
(^。^/)ウフッ




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