美味しん坊通信 | トクトク大事点 | 近江町限定版

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◇金沢城ギャラリー1

金沢城ギャラリー 1

「 職人魂 」

平成の築城により発揮された職人魂
450年ぶりに市民に開放された金沢城

菱櫓(ひしやぐら) ライトアップされた菱櫓
実際に携わった職人さんのコラム・職人魂の集大成!
 

2001年秋 「100年後の国宝を造ろう」との合言葉に、金沢城の一部復元が完成した。
今年(2002年)のNHK大河ドラマ 加賀百万石物語 「利家とまつ」で
全国区の人気になるであろう前田家が
1583年に金沢城に入城して城下町としての金沢の発展が始まりました。

秋の日の一日は、芸術の心を喚起する。
城内のここかしこにスケッチする姿を認めた。

復元されれたのは、「菱櫓」(ひしやぐら)・「五十間長屋」・橋爪門と続櫓」です。

明治以降に建てられた木造城郭建築としてはわが国最大級であり
木組みには釘を1本も使わない伝統技法と匠の技はまさに芸術。
(今使われている釘は木が馴染んだ後、取り外されます。)


 

二の丸広場から復元された菱櫓を望む
後ろ向きの美人?は、ウチの奥さん(^0^*オッホホ
鶴の丸広場から菱櫓・五十間長屋を望む
この庭はキレイでした。壊すのが惜しい!!
三の丸広場は市民に開放される予定
右手に見えるのは五十間長屋
新丸広場から菱櫓を望む
大銀杏の木が秋の深まりを教えてくれる
鶴の丸広場から、右手に見えるのは石川門
その奥が兼六園です。
三十間長屋から菱櫓を望む
「秋の寂しさ」が感じられる一コマ
   
 ■レポート のぶちゃん編
全国都市緑化フェア「夢みどり・いしかわ2001」(通 称・みどり博)で、金沢城・初のお披露目
のぶチャンもパチリ



のぶチャンがレポートします。

9月9日の日曜日に行ってきました。
オープン2日目の快晴の日でしたが場内はガラガラで気持ちよかったで~す。 (^。^/)ウフッ
1万8千人入ってあれならいつ行っても自分の庭みたいなものです。
ちなみに、ウチの家族は通し券を買ったので何時でも入場料なしに散歩の途中に寄る予定です。
他に、そんな人いませんか?  ご意見募集!

キレイなお姉さんの「花緑アテンダント」と人生経験豊富なボランテアガイド「まいどさん」が、無料! 
なんと無料で案内してくれました。 (みどり博開催の間だけのサービスでした。)

これはグットなシステムです。 誰だ「それなら若いオネイチャンがいい」なんて言うヤツは。
何も考えないで城址公園に行ってもダイジョウブ。楽しく案内してくれました。 
東京テレビの「なんでも鑑定団」の収録があったので中島誠之助にも会っちゃいました。(関係ないヵ)

のぶチャンは、「まいどさん」のガイドで石垣の歴史を中心に勉強してきました。  (・・?) エッ  嘘じゃないよ。

のぶチャンの友人で㈱亀田タイルの亀田裕正さんがこの工事に参加されていました。
亀田さん、後のレポートは、('-'*)ヨロシク♪  d(^-^)ネ!


 

 
鶴の丸広場から菱櫓・五十間長屋を望む
この庭はキレイでした。壊すのが惜しい!!
五十間長屋の窓から橋爪門を見る
手前が鉛瓦・海鼠塀もはっきりと見える
堀にせり出した出窓から石を落として
侵入者を撃退する仕組みだったとか。
ライトアップされた菱櫓
死角が出ないようにとひし形の櫓だった。
 
■レポート 亀田さん編
㈱亀田タイル 亀田裕正です。です。
私が亀田です。



全国都市緑化フェア「ゆめみどりいしかわ2001」のメイン会場の金沢城址公園のみどころついて、僭越ながらご報告させていただきます。
もう見られている方もおいでかもしれませんね。

    「金沢城・復元工事」

ここのメインといえば、各メディアでも盛んに報道されていました金沢城復元工事です。
私は石川県タイル煉瓦事業協同組合から
職方・職長として復元工事一期・二期・三期のすべてに携わらせていただきました。
とはいいましても正味二ヶ月にも満たない期間ですが。

海鼠塀(なまこべい)

具体的な仕事は「海鼠塀平板貼り(なまこべいへいばんばり)」です。
この海鼠塀というのは、

     口口口口口
    口口口口口口
     口口口口口
    口口口口口口

このような意匠を施した塀のことです。
口は実際には黒くいぶした焼き物です。瓦といっていいでしょう。
この周りに漆喰を半円上に盛り上げて塗って仕上げます。 私はこの平板瓦を貼っていたというわけです。

さてこの城址公園のみどころはやはりこの城本体でしょう。なんといっても日本最大の新築木造建造物です。
歴史的構造物の修理・改修工事は各地で行われていますが、この規模の新築はあまり例がないようです。
そのためこの種の工事に携わる人の間ではかなり話題になっているようです。
とはいうものの肝心なものがありません。城には付き物の天守閣があるべき本丸がないのです。
では何を復元したのでしょう?

菱櫓(ひしやぐら)    一期工事
五十間長屋        一期工事・二期工事
続櫓(つづきやぐら)   二期工事
橋爪一の門        三期工事

大まかに言うとこれら4つの構造物です。

石川門から城址公園にはいると、全盛期の城郭模型と現在の模型が並んで展示してあります。
これらを見比べてみてください。なるほど、加賀百万石とはこれらを維持できる格式を言うのだと実感できます。
私なぞは思わず「復元って、この規模の中のたったこれだけ?」といってしまいました。
この広い城郭内でいまも昔の姿をかろうじて残していたのは、
わずか三十間長屋と石川門くらいのものと聞くと、いやはやもったいないものですなあ。

さて、なぜ本丸がないのか?

いや、本丸跡はあるのですが、天守の正確な位置・形状はまったくわからなかったのです。
最近天守らしき絵図が発見されたというニュースも流れましたが、
逆に復元されたこの4つの構造物は明治初頭まで残っていて、写 真や資料が比較的残っていたということなのでしょう。

先日、三期工事に携わった方々と再びお会いする機会があったのですが、そこでいろいろと興味深い話を聞くことができました。
金沢城は何度も火事に見舞われていますが、3度の大火でその都度城内の建物は焼失したそうです。

今回の復元のポイントはどの時点のものなのか?

利家公が七尾から尾山御坊へ入城した当時は佐々成政との抗争があり、とてもその余裕はない。
城郭としての完成は5代綱紀の時代だろうが、
これだけのきれいな仕上げは実は明治まであとわずか60年というころにおきた火災の後だろうということでした。
ということは200年さかのぼるかのぼらないかという時代がこの復元の対象としては妥当だろうということでした。

実はこの復元工事の仕上げはきれい過ぎるという意見もあります。
建築用の道具の発明・変革の歴史とも関わるのですが、木材の表面 をきれいに仕上げる「カンナ」という道具があります。
江戸時代に普及したようですが、これがどこまで一般的に普及したかの解釈によって建物の状態がまた変わります。
荒削りした後の材木の仕上げの度合い。これは図面には出てこないので、解釈の難しいところです。

ちなみに今の石川門は再建後214年経っています。復元された建物も多くはこれを参考に施工されているようです。
それでもいろいろと違いはあるようなので見比べて見るのも面白いですね。

また、私の関わった平板貼りについてもまったくの伝統的工法で施工されているわけではありません。
復元金沢城の海鼠塀がどのようにして貼ってあるのかわかるように五十間長屋内にかなり小ぶりなものですが、模型が据え付けられています。
実物大の壁面の模型もあったのですが、公園内整備により撤去されたようです。
これでどう貼ってあるのかわかります。機会があればぜひこの模型を探して見てきてください。
昔はどのようにして貼り付けていたのかな?
ちょっと想像してみて下さい。

現代工法と伝統工法の絶妙なバランス

かなり大げさな物言いですが、実はこの一個の小さな模型の中に伝統的工法を用いた建造物の改修や新築が現代日本に行われ登場する事の大いなる問題点が秘められています。

建築基準法・消防法等、建造物は住民の安全とその財産を守るため、細かい規定が定められています。
しかしそれは必ずしも伝統的工法と建造物を念頭においたものではありません。

また、構造体である木同士をつなぎ合わせるにも、
まったくの木組みか、ほぞにかすがい、くぎ・ビス・ボルト・接着云々。いろいろありますね。

城郭復元というからには現代の工法の産物をすべて排除しなければならないのか?
そうなると法規に触れる事態にもなりかねないそうです。

聞いた話ではあるところで城郭の復元工事が行われているのですが、
付近は宅地化の波で城郭エリア内に民家が建っているそうです。
立ち退きという問題もあるそうです。

逆に金沢城は明治期に軍が駐屯しかなりの建造物を取り壊してしまいました。残ったものも火災で焼失してしまいました。

現在改修が進んでいるある歴史建造物の現場では、
現在残っている明治期の大改修のデザインを踏襲するか? 
あくまでも創建当時の姿にこだわるか? という問題もあるそうです。

この種の工事に携わってる方は多かれ少なかれこれらの問題とぶつかっています。
そして復元された金沢城はこの問題を現代工法と伝統工法の絶妙なバランスでくみ上げたものといってもいいでしょう。

百万石のシンボルとは、

言葉だけでしかなかった「加賀百万石」のシンボルが、目に見えてすぐそこにあります。
県内の大勢の職人がこの仕事に携わりました。
実は本当のみどころはここなんです。もし今後こういう機会があったら皆さん、ぜひ現場へ足を運んでください。

職人の後ろに立ってどんな仕事をしているのか見てください!
  (え~と職人のハシクレの私としては、そんな風に見られるとイヤ~ンな感じですが)。
大工さん、左官屋さん、石屋さん、板金屋さん、等々。

私はこれ幸いとばかりあっちこっちのぞいて来ました。いや楽しかったですよ。
こんなのを見させてもらってお給金をいただくのは申し訳ないくらい。
実ははじめはいやいや行ってたんですけどもね。弱った事もありましたけれど。

おかげで古建築物というものに非常に興味が湧いてきました。
調べてみると日本各地で城郭や歴史的建造物の改修が行われています。
今大きなところでは熊本城の第一期工事はもう終わったのかな?
唐招提寺もいまやってますね。ここもぜひいってみたいところです。

環境問題

さてこの金沢城ですが、さまざまな材料が使われています。
木はもちろん、石材に壁土。屋根は鉛瓦、石落し等に銅版をまき、壁には漆喰とともにいぶし瓦。
実は色の経年変化の大きい材料が多用されています。

いまは黒く鈍く光る鉛もそのうち白くなるでしょう。石川門の屋根瓦がそうですね。

銅版はまきつけた直後の銅(アカガネ)色から、今は一変して黒茶色をしています。
銅は青く錆びていきますが、これを緑青といいます。
そのうち緑青の花をさかせるでしょうか?
実は酸性雨の影響できれいな緑青が出にくい状況にあると聞きました。
環境問題はこんなところにもリンクしてるんですねえ。

いぶし瓦もいまはただの黒い板です。鉄分を多く含むこの瓦もしだいに錆びていろんな表情を出すでしょう。
現存する三十間長屋や石川門の海鼠塀を見てください。
特に三十間長屋の裏の壁の一部は昭和40年代に改修されて平板瓦も張り替えられています。
色の変化が明らかにわかります。

それぞれの材が色んな顔を見せ始めるには何年くらいかかるでしょうか?
「100年後の国宝を目指す」というのが城址復元の合言葉だったのですが、きれいに色変わりしていただきたいものですね。

見所は、職人の誇り

さてそんな金沢城を一望できるいい場所があります。
城址公園内ですが、橋爪門をくぐって鶴丸倉庫脇の坂道を上がると、丑寅櫓跡があります。
ここは多分城址公園内で最も高台にあたるのではないでしょうか。
百間堀をはさんで兼六園内も垣間見ることができます。ぜひまわられてみてはいかがでしょうか。

散策ついでにあちこちに残る石垣を眺めてみてください。石の積み方に統一性がありません。
それだけいろんな時代にわたって石垣が積まれていたということのようです。
菱櫓の真下の最下層はかなり古い時代のもののようです。

ちなみに一番スカスカで、やんちゃな積み方をしているところは明治の軍のいた時代の改修だそうです。
さてどこでしょうか?

さあ石垣を眺めるのもいいですが、その隙間には結構ヘビがいるそうです。
現場でヘビに遭遇した私の仲間はかなり弱っていました。
あと夕方にはかなりの量のカラスの大群が城址公園をねぐらに帰ってきます。
私は平成12年の9月半ばからここへきてたのですが、当時は恐怖感さえ覚えるものでした。
最近の新聞にも出てましたが、なかなか対処が難しいようですね。


見所というよりなにやら取り留めのない話になってしまいました。

また内部の仕上げ造作も期間的にはダブらなかったので、見れませんでした。
ぜひ建具屋さんの仕事を見せてもらいたかったのですが...。

とにかく一度足を運んでみてください。
そして比較的公共の交通機関の便のいいところですから気軽に行けると思います。
そして職人たちの手の息吹を感じてみてください。
何分何厘という細部にこだわった職人たちの誇りの固まりです。


 
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